牛が峯
牛(うし)が峯(みね)の山の上に、牛や馬(うま)の守(まも)り神(がみ)さんだといわれている小さなお宮さんがありますが、昔(むかし)はここに大きなお寺が建(た)っていて、水は遠(とお)くにある「日(ひ)の水(みず)」という泉(いずみ)にくみに行っていました。ところが、水をくみにいったこぞうが次々(つぎつぎ)と大蛇(だいじゃ)にたべられてしまいます。泉(いずみ)の水がくめないと寺ではくらせないので、大蛇(だいじゃ)をたいじしようと話(はな)し合(あ)っていると、一人のこぞうが、「腹(はら)にもぐさをつめて火をつけたわらにんぎょうを大蛇(だいじゃ)にのみこませたらどうでしょう」と言(い)い、やってみることにしました。泉(いずみ)のそばににんぎょうを立てて見ていると、大蛇(だいじゃ)が出てきてにんぎょうをひとのみにしたので、うまく行ったとみんなが大喜(おおよろこ)びしていましたが、山が鳴(な)り大地(だいち)がゆれ、大きな山くずれがおこったのです。そして山の下を流(なが)れていた小又川(こまたがわ)はせきとめられ、そばにいた村の人々は、おかの森ににげこみましたが、村はせきとめられた小又川(こまたがわ)の水の底(そこ)にしずみ、そこには大きな湖(みずうみ)ができて、このおかは湖(みずうみ)の中にうかぶ小島(こじま)のようになりましました。人々はこの小島(こじま)に家を建(た)て、助(たす)けられた森にお宮(みや)をつくり、村の名を湖(みずうみ)の上(かみ)、うみかみとしましたが、そのうち、湖上(うみがみ)を海上(うみがみ)と書くようになりました。何年もたったころ、栃谷(とちだに)いちばんの分限者(ぶげんしゃ)の家に七美(しつみ)の方から奉公(ほうこう)にきていた美(うつく)しい娘(むすめ)のうらないがよくあたると言(い)われており、六月(ろくがつ)十日(とおか)に大水がでるから村人はおかに集(あつ)まるように、とその娘(むすめ)が言(い)います。その日の朝(あさ)、村人がおかに集(あつ)まっていると、岸田川(きしだがわ)の上流(じょうりゅう)の方から山津波(やまつなみ)がきましたが、それはいつかの山くずれでできた湖(みずうみ)の水が、土手を破(やぶ)って出てきたのでした。今では小又川(こまたがわ)の上(かみ)の方に大きな湖(みずうみ)があったとは考(かんが)えられませんが、山の上の寺も豊臣秀吉(とよとみひでよし)のやきうちにあい、今は牛(うし)が嶺(みね)神社(じんじゃ)がいたんだ姿(すがた)でひっそりとたっているだけなので、長い年月の間(あいだ)には、またどんなに変(か)わるかわからないのです。
【注】 分限者・・・おかねもち 七美・・・美方郡の東部